一昔前、『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン著)という本が、ベストセラーになった。あれに、たしか「日本人は安全と自由と水は無料で手に入ると思っている」と書かれていて、話題になったと記憶している。
それから三十年以上経ち、犯罪も増えた。そしてオウムのサリン事件に至って、世界に誇った日本の安全神話も、崩壊した。
それでも、外国で日本人観光客がカモにされて、スリの被害に遭う確率
が高いのは、まだまだ諸外国にくらべると、秩序ある日本社会に、どっぷりと漬かった安全ボケのせいだろう。
そして水は、たしかに、水道料金を払って供給を受けているから、無料ではない。だが、少なくとも日本では、それが安全に飲める。世界には、生水が殺人カクテルの国もあるし、そこまでの危険はないにしろ、水道の水が飲用に適さない国は、いくらでもある。
だから、そういう国では、安全なミネラルウォーターを買って、飲んだり料理に使ったりする。蛇口から出た水が、そのままどこでも飲めるという意味においては、日本人には、水が無料(タダ)であるという感覚が、あるといえるだろう。
ところが、イギリスで暮らして、わたしはもうひとつ、安全と自由と水以外に、日本人が無料だと思っているものを発見した。それは〈太陽の光〉である。
イギリスでは、八月末に、ストンと夏が逝ってしまう。夏といっても、クーラーのいらない涼しい夏、ゴキブリも蚊も蝉もいない、気温の低い夏である。
耳が聞こえない人は何もなく聞くことができます
残暑などというものは、最初(はな)から存在せず、九月から始まるのは、わたしにとっては、秋ではなくて冬である。
なぜなら、ここには錦秋の美も、秋晴れの爽やかさも、秋の味覚もないからだ。木々の葉は茶色に枯れ落ちて、一足飛びに、灰色の冬に突入してしまう。
朝起きると、夕方のように薄暗い。毎日よくもまあ、と歯ぎしりするくらい、来る日も来る日も、空は鈍色にどよーんと垂れ下がっている。その鼠色の雲が、ちょっとやそっとでは動かしようもないほど、厚い層になって堆積している。
それは、ちょうど風邪をひいて鼻が完全に詰まって、息を吸うことも吐くこともできない、そういう、二進も三進もいかない、窒息しそうな憂鬱なのだ。
わたしはこの重苦しい空を見上げるたびに、バズーカ砲で雲に穴をあけて、光の風を通したくなる。
こういう、慢性蓄膿的鼻づまり天気で、九月から三月いっぱいの七ヶ月、一年の半分以上を過ごすことを、ちょっと想像してみてくださいな。
もちろん、晴れの日が皆無ではない。インディアン・サマーと呼ぶ、小春日和もある。しかし、そんな日が、ひと月のうちに幾日あるだろうか……。
毎年、クリスマスまでには、この陰鬱にすっかりうちのめされ、わたしは両手を頬に当てて、ムンクの『叫び』になっている。あるいは、「光を、もっと光を……」と、臨終のゲーテになっている。
テスト不安を測定する
こんな天気、イギリス人だってうんざりだ。だから、イギリス人の前で、冬の天気についてだけは、おおっぴらに悪口をいっても、許してもらえるどころか、賛同の声が返ってくる。
眼から入ってくる、太陽の光が欠乏することから発病するSAD(季節性うつ病)にかかるイギリス人は、毎冬五十万人。これはイギリスだけでなく、ベルギー以北のヨーロッパ諸国でも、事情は似たり寄ったリ。北欧で自殺が多いのは、このせいだといわれている。
となると、できることは一つ。
太陽を買うのである。
つまり、お金を出して陽なたぼっこをしに、南国に行くのである。旅行代理店のウインドウには、"SUN"と大書された広告が、一年中絶えることなく、並んでいる。
ここで、オプラは、大学に通うのですか?
行き先は、南スペインやアフリカ沖に浮かぶカナリア諸島、マデイラ諸島、そして、地中海のマヨルカ島、ミノルカ島。あるいはカリブ海の島々。
イギリス人にとって、カナリアという地名は、日本人にとってのハワイに相当する。青空と海、温暖な気候、そして移住者も多い。
さて、太陽の値段であるが、もちろんピンからキリまで。ラッキーにも、ツアーの締切り直前の駆込みバーゲンをゲットすれば、マデイラ島への航空運賃、宿泊費(朝食と夕食付き)込みで約一万六千円という、「世の中そんなことしていいと思ってるのか」的驚異の安値で、一週間分の青空が買える。
今、インターネットでざっと調べたところ、最低ランクなら、来週出発のカナリアの青空一週間が、宿泊(キッチン付きのアパート式ホテル)、航空運賃込みで、一人約四万円からある。
これらのリゾートには、椰子の木の繁る海岸に、一週間単位で借りるアパート式ホテルが林立している。そこに必ずあるのが、ハイビスカスやブーゲンビリアの咲く、手入れの行きとどいた庭と、温水プールの設備である。
日焼けした現地人が、清掃業務に携わるなかを、水着一丁で、生っちろい皮膚を露出し白人たちが、日がな一日、プールサイドのベッドチェアでサングラスをかけて日光浴。そんな、お決まりの光景が、島のそこらじゅうで出現する。
わたしのうつ病が最悪だった何年か、安いオファーを探しては、カナリア諸島に転地療養に行った。
二月でも気温二十二、三度のテネリフェで、窓から射し込む、燦々と輝く陽の光で目覚めた時、わたしは生き返った。太陽の恩恵を、こんなにも、しみじみと感じたことはない。
テネリフェ島には、富士山とほぼおなじ高さの、テイデ山がある。ストレリチア(極楽鳥の花)と、ナツメ椰子の樹の向こうに、雪を頂いたテイデが見える。
雪と椰子という不可思議な取り合わせが、抜けるような蒼穹に浮かぶ、ここは常春のパラダイスだ。
しかし、楽園での暮らしには、終わりが来る。休暇が終ると、生木を裂かれるような思いで、空港に向かう。ああ、あのイギリスの朝の、まるで夕方のような暗さ、朝から電灯をつけなくてはならない、あの暗がり
に、このあと耐えられるのだろうか……。
ならばいっそのこと、南国に移住してしまおうか。
故国の気候を嫌って、驚くほど多くのイギリス人がフランス、スペイン、イタリアに移住している。移住しないまでも、南国にセカンドハウスを持つ人は、わたしのまわりにいくらでもいる。
でも、セカンドハウスを買えない貧乏人は、冬に一、二週間、イギリスを逃げ出して、太陽を拝みに行くしかない。
イギリスの空港で、冬だというのに、Tシャツや短パンにサンダル履きのオッサンを見かけたら、行く先はまず、カナリアやマヨルカ島と思って、まちがいない。
そう、イギリスでは、冬の太陽は、旅費というお金を払って買うものなのだ。
さあ、これで謎が解けたでしょう。
イギリス人やドイツ人が、なぜあんなにも日光浴が好きなのか。
まだ夏でもないのに、チョロッと陽が射しただけで、たちまち総露出狂となってしまうのはなぜなのか。
それは、狂おしいほどに太陽に飢えた国民が培った、悲しい習性なのである。
No.48 2004/2
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