2012年5月10日木曜日

HELLO! Jicafe STATION | 77.8MHz FM-JAGA 帯広・十勝 地域に根差したリスナーと共感できるFMラジオ局


シニア海外ボランティア - 武田順二さん(エクアドル)

今週は、エクアドル共和国(Republic of Ecuador)をピックアップ!

<国の位置>
南アメリカ西部に位置。
北にコロンビア、東と南にペルーと国境を接し、西は太平洋に面する。
本土から西に1,000km程離れたところに世界遺産 ガラパゴス諸島を領有する。エクアドルは赤道直下にあり、本土は標高によって中央のシエラ地域、太平洋岸のコスタ地域、熱帯雨林が広がるオリエンテ地域に分かれている。

※国名のエクアドルはスペイン語で赤道を意味する。

首都…キト

<面積>
25.6万平方キロメートル(本州と九州を合わせた広さ)

<人口>
1,446万人(2010年、世銀)

<言語>
スペイン語(公用語)、その他ケチュア語、シュアール語など

<民族>
メスティーソ、インディヘナのほか、白人など

<宗教>
カトリック、プロテスタント等

<気候>
基本的に赤道直下の熱帯だが、シエラは標高が高く、またコスタも寒流であるペルー海流の影響により、過ごしやすい気候になっている。

<食事>
コスタでは主にコメ、バナナ、ユカイモ、魚、エビ、貝類などを主食としている。中でも有名なのがセビッチェといわれる、冷たいエビや貝などのスープ。その他にもアロス・コン・ポジョやアロス・コン・マリネーロなど、周辺国と似た料理が食べられている。

シエラでは芋や、トウモロコシを主食とし、牛、豚などを飼いミルクを売ったり食べたりして生活している。海産物はめったに手に入らない。シエラの料理で代表的なものは豚肉のフリターダや羊肉のセコ・デ・チーボ、スープのロクロなどの名が挙げられる。

オリエンテにもユカイモを軸にした独自の食文化が存在する。

エクアドルは世界一のバナナの生産高を誇り、国内には40種以上に及ぶバナナがある。バナナを使った料理も少なくない。一番、ポピュラ� �なのはバナナのフライ(トストーネス)。シンプルな一品だが、甘いバナナや甘くないバナナ(じゃがいもの食感に似ています)などが選べる。トストーネスはキューバなどカリブ沿岸諸国でもポピュラーな食べ物。また、フラン・デ・バナノのようなお菓子にもバナナが使われる。

出典・参考:外務省HP、ウィキペディア、地球の歩き方HP

今日の電話インタビューは、シニア海外ボランティアとして活動中の武田順二さん!(職種:農業の病害虫対策)

■武田さん、よろしくお願いします。
 日本は午前11時30分ですが、そちらは何時ですか?

武田さん 以下武)よろしくお願いします。日本と14時間の時差がありますので、6日金曜日の夜9時30分過ぎで、こんばんは、の、Buenas noches (ブエナス ノーチェス)ですね。

■十勝はやっと少しずつ春らしくなってきましたがそちらはいかがですか?

2012年5月9日水曜日

あなたは、立場を笠に着て権力を利用していませんか?その3 - 親力集中講義 - 教育のまぐまぐ!


第33回 あなたは、立場を笠に着て権力を利用していませんか?その3

前回の記事はこちら

大人が子どもに対して横柄に振る舞うとき、心のどこかに「子どものため」「しつけのため」という言い訳を用意しています。

ときには、「お前のためを思えばこそ」などと、口に出して子どもに言うときもあります。

でも本当は、この言い訳は誰よりも自分自身をだますために必要なのです。
では、なぜ自分自身をだます必要があるのでしょう?

実は、大人の横柄な態度、つまり子どもに対する攻撃的な振る舞いや暴言は、大人のストレス解消なのです。
叱ったり罰を与えたり叩いたり、このような攻撃はすべて大人のストレス解消なのです。

2012年5月7日月曜日

キャバリア・ブリーダーズ - キャバリアってどんな犬?


■キャバリアの魅力

キャバリア・キング・チャールズ・スパニエルの
たっぷりの毛におおわれた長い耳、感情豊かな大きな眼は、
中世から現在まで、多くの人の心をつかんで来ました。

キャバリアは、よく「優雅にして快活」と表現されます。

攻撃性がなく、明るく穏やかで愛嬌たっぷりなキャバリア。

物静かで遊ぶことが大好きで、非常に社交的な
その性質と、野外でも活躍する高い運動能力は、
どんな家庭環境にも適応できます。

争いごとを好まないキャバリアは、
ほとんど吠えず、噛むこともありません。

お年寄りや小さな子供、他のペットなどとも仲良く過ごすことができ、
家庭犬としてもっとも理想的な種類と言えるでしょう。

甘えん坊で寂しがり屋なところもあり、
スキンシップを大変好むというのもこの性格によるものですね。

好奇心も旺盛なことから、屋外での散策やいろんなものを
追いかけることも大好きです。

2012年5月6日日曜日

芸術の才能は生まれつきなんですか? - Ssaitohの日記


芸術の才能は生まれつきなんですか?

芸術の才能は生まれつきなんですか?

美空ひばりはやモーツアルトは子供の頃からずば抜けた才能を持っていたそうです。

努力でどうにもできないこともありますよね

それはありますね。 

ですから、 そのような才能を活かすように、 伸ばすようにすることが大事ですね:

再生核研究所声明 60 (2011.05.07) : 非凡な才能を持つ少年・少女育成研究会

(2011年5月2日 5時 次のような構想が湧いて目を覚ました。) 再生核研究所声明9: 天才教育の必要性を訴える にもあるように、 日本国でも 特殊な才能を持つ者に対する 特別な配慮や教育が必要ではないかと いわゆる天才教育の必要性を訴えている。 最近、中部地方にも そのような少年、少女が現れ、 父兄、少年、少女たちが一様に困っている情報がもたらされた: やはり「学校での授業が飽きてしまう」ということで、それぞれ児童生徒の対応に苦慮しているようでした。 学校の授業のレベルが低すぎてつまらない など。

そこで、再生核研究所として、次のような構想を 積極的に進めたい:

2012年5月3日木曜日

米国の不況の原因は「創造力の危機」:社会学者が指摘 - たけみたの脱社会学日記


米国の不況の原因は「創造力の危機」:社会学者が指摘



WebWireより。

米国の不況の原因は「創造力の危機」: 社会学者が指摘

近年の米国の経済危機は、職場における創造力と動機づけの欠如によるものだ。そう指摘するのが、社会学者で著述家でマウント・ボールディ研究所の所長であるシメオン・ハイン博士だ。

ハイン博士によれば、「直線的・論理的思考法のような、左脳的な分析スキルに基づいた教育訓練を何百年も受け続けてきた結果、創造力や共感力、デザイン力といった、ほんとうに大切な全脳思考ができない人ばかりになった」のだという。

2012年5月1日火曜日

マサチューセッツ工科大学 - Wikipedia


マサチューセッツ工科大学(英語: Massachusetts Institute of Technology)は、米国マサチューセッツ州ケンブリッジ市に本部を置くアメリカ合衆国の私立大学である。1865年に設置された。

マサチューセッツ州ケンブリッジ市に本部を置く私立大学。ノーベル賞受賞者を多数輩出している(2010年まで77名。この数はコロンビア大学、ケンブリッジ大学、シカゴ大学に次ぐ[1])。全米指折りのエリート名門校の1つとされる。通称、MIT(エム・アイ・ティー、注:「ミット」は誤用で主に日本の極めて一部で用いられる)とも呼ばれる。同じくケンブリッジ市にあるハーバード大学とはライバル校でありながらも、学生達はそれぞれの学校の授業を卒業単位に組み込める単位互換制度(Cross-registration system)が確立され、ケンブリッジ市は、「世界最高の学びのテーマパーク」とさえも称されている。

アメリカにおいて、シリコンバレーなどと並ぶ先端技術産業の集積地であるボストンのルート128地域においても、中核的な役割を果たす機関である。同大学のメディアラボは情報技術関連の先端を走る研究所としてマスメディアなどでも頻繁に取り上げられる。特筆すべきは、同研究所で開発された情報処理システム(アテネプロジェクト)がキャンパスネットワークの根幹を占めており、この研究成果はアメリカ以外の大学院大学等でも活用され成果を挙げている。

同大学は、ボストン所在の他大学(ハーバード大学、ウェルズリー大学、マサチューセッツ大学)との間で、学生や研究者同士の交流も推進している。近年、大学の全授業をweb上で公開する試み(オープンコースウェア)がなされており、遠隔教育関係者や教育関係者一般から広く注目を集めている。現在、建築家の槇文彦によってキャンパスの増築がなされている。

MITは自然哲学者ウィリアム・バートン・ロジャース(ウィリアム・アンド・メアリー大学卒業)によってボストンの地にボストン技術学校の名で設立され、1865年にマサチューセッツ工科大学に改称し開学した。

創立当初は一部の学生を除き、多くのMITの学生は一人前の大人(社会人)で、建設業者や熟練工、工事監督、熟練機械工、見習い工、熟練エンジニアなど既に一定の技能を身につけた人々だった。このため、明確な目的意識があり、必要と思われる講座のみを選択し受講しに来る者が多く、キャンパス・ライフは存在しなかった。MITには学生寮もなく、礼拝堂もなく、1867年まで食堂すら存在せず、学生はただ講義を聞くためだけに学校に来た[2]。最初のうちは学生は男性のみだったが、1870年代になって初めて少女たちの入学を受け入れはじめた。